大林宣彦監督
2022.07.28
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広島県出身の映画監督といえば大林宣彦さんではないでしょうか。
今回のブログでは、日本映画界において数々の名作を生み出した大林宣彦さんを紹介させて頂きます。
大林宣彦さんは1938年生まれ。広島県尾道市の代々続く開業医の家に生まれました。幼少の頃から映画を撮り始め、
大学時代には自主制作映画のパイオニア的存在となりました。なかでもベルギー国際実験映画祭で審査員特別賞を受賞した
「喰べた人」(63)などが話題を呼びました。その後、当時は作品としての価値が低かったCMの業界に進出し、
CMディレクターとして、チャールズ・ブロンソン出演の「マンダム」を筆頭に海外スターを起用したCMを多数手がけました。
「HOUSE ハウス」(77)で商業映画デビュー。80年代に故郷・尾道で撮影した「転校生」(82)、「時をかける少女」(83)、
「さびしんぼう」(85)の“尾道3部作”では懐かしい地方都市の風景と若者たちの情感をみずみずしく描くことで人気を博し、
斬新な映像技術を駆使して“映像の魔術師”と呼ばれる世界観を描き出しました。
「青春デンデケデケデケ」(92)が文化庁優秀映画作品賞、「SADA」(98)がベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞するなど
国内外で高い評価を獲得し、日本映画界を代表する監督のひとりとして活躍を続けました。
また独特の語り口で講演やコメンテーターとしても活躍し、執筆や客員教授など幅広く活動したことでも知られています。
2016年に肺がんで余命宣告を受けましたが映画製作への意欲は失わず、「この空の花 長岡花火物語」(11)、
「野のなななのか」(14)に続く、“大林的戦争3部作”の最終作「花筐 HANAGATAMI」(17)を手がけ、
第72回毎日映画コンクール日本映画大賞など映画賞を多数受賞。続けて、約20年ぶりに尾道で撮影した
「海辺の映画館 キネマの玉手箱」(19)を完成させましたが、20年4月10日に永眠。同作が遺作となりました。
04年春の紫綬褒章、09年秋の旭日小綬章を受章。19年には文化功労者にも選ばれています。
自らを映画作家と称し、一作ごとに実験と挑戦を繰り返し、多彩な作品を残しました。
晩年はがんと闘いながら戦争をテーマにした作品を作り続け、デビュー作「HOUSE」より前に脚本を書き上げていた
「花筐」の舞台あいさつで大林さんは「戦争を知らない若い人たちのために作った映画」と話すなど、
戦争の風化に繰り返し強い危機感を訴え続けました。
故郷の風景を愛し、鋭い眼差しで戦争を見つめ、誰よりも映画を愛し、その可能性を信じた82年の人生だったのではないでしょうか。
未視聴の方はぜひ映画を観て、監督が伝えたかった想いの一端に触れてみてはいかがでしょうか。
そして少しでも興味を持たれた方は、ぜひ実際に映画の舞台を訪れてみてほしいと思います。
きっとそこでは、大林映画の“記憶”に出会うことができるはずでしょう。
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